祖母が庭でソテツの赤い実を干していたことがあった。
干してどうするの?と聞いたら、「なり」にするという。なりって何?と思ったら食べるんだそうな。後で調べたらソテツって毒があるのね。
祖母は何かと作るのが好きな人だった。というか祖母世代の人はなんでも自分で作るのが当たり前だったのかな。
干してるなと思ってからしばらくして、庭に石臼を出してた。何するの?と聞くとソテツの実を粉にすると言う。面白そうなので私が粉にすると言って、石臼を回した。その後、なりがゆ(なりがいとも言う)なりを入れたおかゆをふるまってくれたのだが、正直まずかった。
これは無理という私の横で、母は「懐かしい。美味しい」と言って食べていた。戦後、食べる物がない時代によく食べられたものらしい。母は終戦前の生まれなので、戦後の苦しい時代を祖母と共に過ごしてるんだろう。
最初に誰が食べ物にしたんだろうな。毒がある実を、水にさらして手間と時間をかけて毒を抜く。そこまでしないと食べる物がなかったのか。
妹をおんぶして学校へ行った。教室の隅でおむつを替えた。学校には芋(さつまいも)をもって行ってたとは聞いていた。だから当たり前のように学校へ行き食べ物がある私達兄弟を見ると、時々腹が立つと言っていた。気持ちは解らんでもないけど、私に腹をたてられても困る。
あの頃は祖母が元気だった。もっと年を取っていろんな事が出来なくなったからと、それまで住んでいた家を売って小さな家に引っ越した祖母は、何を思っていたんだろう。