気のむくまま

思うこと

フェードアウトする理由

今年の正月、メールをくださいとアドレスが書かれた年賀状が届いた。昨日、同じ人から留守録に電話をくださいと入っていた。

子供の頃、何度も転校をしてその度に「かならず手紙を書くからね」「私も書くね」というやりとりをした。その時の気持ちはお互い嘘ではないけれど、手紙は自然と減っていく。新しい学校に慣れるとそこで出来た友達と話す事が多くなる。相手も私がいない日常に慣れていく。

たまに延々と手紙を送って来る方がいる。彼女の日常に私はすでにいないので、解らない話が多くなる。解る話をと気を使ってくれればそれは昔の話ばかりになる。

久しぶりに昔いた学校の人と顔を合わせる機会があると、自然と手紙が減っていった人達とは関係がすぐ戻る。「元気にしてた?」「してたよー」「手紙書けなくてごめんねー」「私も書けなくてごめんよー」時間を埋めるように、会っていなかった間の出来事を話しては笑いあう。だが、延々と送ってくれた方とは元の関係に戻れない。「どうして送ってくれなかったの?私は送ったのに。」会わなかった間の事も手紙で知っているから埋める話題もなくなっている。

楽しい時間があるともう一度と願う。でも時は過ぎていく。過去を繰り返す事は出来ない。

年賀状の彼女には時間が取れなくなった理由は話してある(夫の仕事の時間が変わった)彼女が開く時間と私が開く時間が一致しない。それでもたまには時間を作ってと思っていたら、「〇〇さんがどうしても聞きたい事があるんだって」と言われて無理やり時間を作って行ったら、〇〇さんがいないという事が三度程あった。時間は作るから他の人の名前を使わないでと言ったら、心配しているのに会おうとしない私が悪いと言われて、会いたい気持ちが萎えた。 

昔はそういう事を言う人ではなかった。病気をしてから命令口調が多くなった気がする。悲しい事だけどどうしようもない。

これから先、私も淋しくなったり病気をして心細くなったりする事があるかもしれない。その時、淋しい気持ちや不安な気持ちを自覚して、紛らわせる何かを見つけられるといいな。