気のむくまま

思うこと、日々のこと

メモに残された日常とこの先と

義母が日常の事を記したメモがあった。ラジオ体操をしたとか血圧の数値とか、そういうもの。

亡くなる数日前には「風邪をひいた。咳が出る」と書かれていた。その翌日には、「風邪がなおらず咳が出る。今日はラジオ体操はやめた」そういうのが数日続いた後、気分が悪いと職員さんに電話して病院に運ばれたらしい。

冷蔵庫には食べ物、干された洗濯もの、突然、主を失った部屋。

年齢的に自分の死の後ろ髪が見えてきた気がしていた。死ぬのは怖いなと思っていたけど、私は死が怖いのではなく死ぬ前の痛みや苦しみが怖いのだと思う。考えてみれば、それって生きる苦しみ。もう望みがない状態なら、病院は治療より痛みの緩和をする気がする。望みがあるからこそ痛みがあっても治療をするのだろう。もし体の痛みがすごく強かったら、死は救いにさえなるかもしれない。でもそれはたらればでしかない。

その時がきたら、全部捨ててね、大事なものは(死後の手続きに必要なもの)ここにまとめてあるよと言えるようにしておかないといけないなとは思う。せめて今年中にはまとめておきたい。なんでも先延ばしにする癖があるので、気をつけないと、とか考える私は、わりと長生きするかもしれないな。

夫が「気を付けるんだぞ。今となっては婆がいないと話にならんのだからな」と言った。夫も後ろ髪が見え始めてるんだろう。昔はそんな事、恥ずかしくて言えるかーって人だったもんな。