気のむくまま

思うこと

地震があると思い出す事

困っていたら自分の命など投げ出してでも助ける、と自信を持って言った人がいた。私はそう言い切れる自信がなかった。

その立場になった事がないし、なったとしたら自分の身を守るだけで精いっぱいで、他の人を見捨てる冷たいやつなんじゃないかと自分を疑っていた。

人に遊びに誘われても、忙しい時はごめんねと断るので冷たいと言われた事がある。人嫌いなわけじゃないと思う。人と話してて楽しいと思える時もわりとある。同時に1人遊びが好きだし人と付き合うにはお金も暇もいる。

1人も楽しい、2人でも楽しい、みんなでも楽しい。時間もお金も無限にあるわけじゃないから、自分の中ではバランスを取ってるつもり。そんな事を説明してもどうにもならないし、行けない時は断るしかないけれど、気が乗らなくても付き合いというもんがあるんだから、それを気にしない私は冷たいと言われた事があって、(気にはしてるんだけど)そういわれるとそうかもなと思ったりもした。

1995年1月17日阪神・淡路大震災、あの日私は夢の中にいた。

隣で火事だと叫んでも寝てると言われた私が最初のゆれで気が付いた。「夫!」

私の頭の中では夫に覆いかぶさるつもりで、必死に体を起こそうとしてるのだけど、何かが重くて体が動かせない。多分まだ完全には目が覚めていなかったのだろう。必死に動かそうとするが動かせない。何故動かないのか、動かないとなると余計に焦って必死になんとかしようとしている間に完全に目が覚めた。

重たいのは夫の体だった。夫が私を庇ってくれてる。ここで抵抗したら逆に負担になる。そう思った途端に体から力が抜けた。そんなに長い時間じゃなかったはずなのに、あの時の事は鮮明に記憶に残った。

テレビをつけたら大変な事になっていた。まるで映画みたいで現実とは思えない光景が目に飛び込んできた。我が家は家具は倒れないようにしていたから無事だったのだなと思っていたら、玄関で靴箱がひっくり返っていて簡単には玄関から出られなくなっていた。

周辺の人も食器棚が倒れて食器が全部割れて大変だの、家具が倒れてきて危なかったたの、仕事先では図面が散乱して片付けるのに大変だったりと、震源地から離れていても影響は小さくはなかった。

しばらくはお風呂に入ろうとすると、この瞬間に揺れたらと思うしトイレに入っても同じで落ち着かない日々を過ごした。それでも命は助かった。壊れたものは買いなおせばいい。そう言いあって励ましあったりもした。

現地に炊き出しに行く人に、わずかだが物資を一緒に持って行って貰ったり(炊き出しに行った人に必要なものを聞いて貰った)炊き出しに必要なものを買う資金をカンパしたりした。近所の方が中心になって、何が出来るのか迷惑にならないかと話しあった。そうしてると気がまぎれたのかもしれないけど、こんな時だからと皆が出来ることを探してた気がする。

あの日以来、冷たいねと言われても昔ほどはそうかもと思わなくなった。少なくても、自分だけ逃げようとは頭にも浮かばなかった。たまたまなのかもしれないけれど、少しは自分を信用してもいい気がした。

穏やかな日常が壊れる時はあっという間。ずっとこの生活が続いてほしい。そして地震の為の備えは忘れずにいようと我が家には二人分のお手製非常袋がある。使う機会などあって欲しくはないけれど。

能登地震、今回の台湾地震、大きな地震が増えてる気がする。印象に残るからそう思うのか、実際に増えているのか、天災は怖い。

台湾地震の募金先を検索してみたら、ファミマでもやってるみたいなので、買い物に行く時に、わずかだけど募金してこようかな。今、私に出来ることはそれぐらいだし。