気のむくまま

思うこと、日々のこと

港が見える店

田舎に帰っていた頃の事、その日はちょっと疲れていた。家に帰る前に珈琲でも飲んで休みたかった。

その店は他の店と店の間に挟まったみたいな入り口をしてた。幅がない、小さな珈琲の文字がなければ素通りしてしまっただろう。

夜の10時、薄暗いドアをあけた。ドアをあけると人が2人歩けるぐらいの通路が現れた。両方の壁にはポスターが額に入れて飾られていた。その先には思ったより広い空間が広がっていた。薄暗い店内の入り口と反対側の壁には、大きな窓が一面にあって、その向こうには暖かな灯りと暗い海が広がっていた。凸みたいな店の形と言えばわかりやすいだろうか。

左手にはゆるくカーブしたカウンター、カウンターには数名の人が座っていた。右手には間隔が空いた少しのテーブル席と形ばかりのストーブ。店内にはジャズが流れていた。

とりあえずカウンターの隅に腰を掛けた。座って気が付いた。壁の一部にレコードがびっしりと並んでいた。

ジャズ喫茶なんだ。音楽は好きだけど、ジャズが一番聴かないジャンルだな。そう思いながら珈琲を頼み、窓から見える港の景色を眺めていた。船の灯り、面したお店の灯りが暗い海に反射して、暖かな色が揺れる。

誰も話さない。目を閉じて音楽に聴きいっている人、新聞に目を落としている人、次のリクエストを紙に書いてる人、話さないがそれぞれが音楽と空間を楽しんでる気がした。その空気が居心地がよかった。その居心地の良さに惹かれて足を踏み入れたのは、1週間後だった。

一週間前にたった一回来た客を、オーナーも常連さんも覚えていたみたいだ。席に着いた時、何人かが頭をちょっと下げ何人かは顔を見てニコっとした。それでも話しかけてくるわけではない。お好きになさい。そう言われてるような気がした。

私もちょこっと頭を下げ珈琲の香りをかぎ、港の景色を見ながらぼんやりする。疲れがほどけていく気がした。結局、田舎を離れるまでは通った。

1度も誰とも話した事はない。それなのに、時々あの店のあの席に戻りたくなる。